2017年6月13日火曜日

通帳記入を放置しておくと思わぬ落とし穴が、そして印鑑登録を何度も

最近は、まったく貯金通帳を使わなくなった。キャッシュカードで十分だからだ。通帳記入ができないので履歴が残らなくなるが、それは大昔にあきらめた。今、通帳記入をしても過去の履歴は全部記入されない。しかし過去の履歴がなにかの役に立つこともないし、過去の思い出を眺めていても、未来の幸せにはあまり関係ない。それより通帳記入に行く手間と時間を考えると、人生を浪費する分不幸だ。通帳記入しなくても普段の生活になんの影響もないので、通帳記入を完全に残したいというのは気持ちの問題でしかない。

ただ、盲点があって、貯金通帳をどうでもいいと思っていると、印鑑の方についても意識がなくなってしまう。その結果、銀行印がどれだったか分からなくなる。複数の銀行口座、複数の印鑑を持っていると、どの組み合わせになっているのか、もはや記憶にない。たまに銀行印が必要になった時に、適当に印鑑を使うと、印影が異なると言って突き返される。しかたないので、銀行印の再登録をしてもらったことが何度もある。幸い無料でやってくれるので助かるが、銀行にとっては迷惑だ。

ということで、以前間違えたときに付けたであろう目印が印鑑に書いてあった。「非銀行印」と書いてある。なるほど、これは銀行印ではないということだ。これならこの印鑑を間違えて使うことはないだろう。しかし、それが銀行印でないことは分かったが、どれが銀行印かは分からない。「非銀行印」ではなく「銀行印」と書いてあるものがないので困る。そして、結局、銀行でまた印鑑を再登録してもらった。こんどはちゃんとこの印鑑に「銀行印」と書いておく。

PowerDirector15を買った。ちゃんと使える動画編集ソフトに成長している

動画編集ソフトが必要になって、どういうのがいいか探していたところ、PowerDirector 15というのが売れているらしいことを見つけた。PowerDirectorと言えば昔にちょっと使ってみたことがあって、ものすごく使いにくかった記憶がある。とにかく、やたら落ちまくる。なにかひとつ編集するだびにセーブしておかなければならなかった。機能も十分とは言えず、歯がゆい思いをすることが多かった。
他にはEDIUSというのも使ったことがあって高機能でよかったのだが、ちょっと値段が高い。でも、やりたいと思ったことがちゃんとできるソフトだった。PowerDirectorも売れていて、インターネット上の評判も悪くなさそうなので、以前の悪いイメージを気にしつつも、値段はそれほどでもないし買ってみることにした。
PowerDirector 15にもいくつか種類があって、一番高いUltimate Suiteというのを買った。高いといっても1万4千円程度。これには、動画や音に様々な効果を付けたりするソフトも付属されている。だからちょっと高い。こうしたソフトを使えば、単なる動画編集にとどまらない変わった動画を作ることができる。ただし、使いこなすには、それなりの才能も必要だろう。

PowerDirectorを使ってみた感想としては、15作目ともなると完全に安定している。いくつか動画を作ってみた感じでは、落ちたことは一度もない。
動作も軽快とは言わないが、問題ない。例えばなにかクリックして瞬時に動作しない場合があっても、マウスから手を放すほど待たされることはない。エンコードも十分速い。
動画をトリミングして、並べて、音を付けて、タイトルを作るという基本的なことに関して、まったく普通に使える。動画をトリミングするにも、ちゃんと一コマずつ開始と終了コマを指定するような細かいこともできる。
トラックも100トラックまで作れるので十分だし、音やタイトルも並み以上の機能で編集できるようになっている。加えて、動画の手ぶれ補正や動画サイトへのアップロードといった付加機能もいろいろある。

ここまでちゃんと使えるのなら、素人が動画を編集するには十分だ。昔の基本的なこともまともにできなかった時代があっただけに、当たり前のことが当たり前に使えるようになっていることにちょっと感動した。でもその当たり前のことができるというのがとても大事だ。
たぶん、VideoStudio等の他社の同価格帯の製品でも同じようなものだと思うが、このクラスの動画編集ソフトで普通に使えるようになっていることを知って、浦島太郎状態になってしまった。

運送会社の待遇改善は必要だがサービス向上努力が不要ということではない

ヤマト運用からメールが来た。6/19から時間帯指定の区分が変更されるようだ。
インターネット通販をはじめとした物流量の増加と、サービス品質への高い要求から配達員に負荷がかかりすぎることが問題になり、そのことに対して利用者の理解もある程度得られていることから、サービスや運送料の見直しを行っているようだ。

まず、不払い残業等の法令違反は問題外であり、そのような点は直ちに改善する必要がある。低価格や便利なサービスは、ルールに乗っ取ってやるのが前提であり、ルール違反をしてそれを実現していたのでは意味がない。そのようなものは反則であり、サービスとは言わず、不正と言う。ただのブラック企業だ。

さらに再配達を何度でも無料でやっているのは、過剰サービスではないかという指摘がある。配達時間が細かく指定できるというのも、サービスが良すぎるという指摘がある。海外と比較した場合、考えられないようなサービスらしい。
配達員等の努力によって、そうしたサービスが提供されていることは、ありがたいことだと思うが、ただ、私は、海外と比較してサービスが良すぎるからサービスの質を下げていいということになると、それはどうかと思う。
もちろん、単純にサービスの受益者としてはサービスのレベルが高い方がありがたいということもあるのだが、もっと一般的な話として、企業努力や競争原理によってサービス等を向上していくのは悪いことではないからだ。
例えば、海外の配送業者が日本企業のサービスレベルが低いところを見て、そこに付け込んで独自のアイディアで参入してくるかもしれない。いくら配達員の負担があると言っても、よりよいサービスの提供を実現できる企業が登場したら、消費者は正直な選択をするだろう。また、高いサービスのノウハウは、海外進出にも有利だ。

宅配ボックスの設置にも言える。高いサービスを要求しなければ、そもそも宅配ボックスの必要性は考えもしないかもしれない。だが、宅配ボックスは配送業者、利用者双方にとってメリットがある。高いサービス水準の要求は、そうしたアイディアや工夫を生み出すもとになる。便利なサービスを作れば日本発として海外へも波及させられる。海外のサービス水準が低いから、日本のサービス水準も落としたらいいのではなく、逆にサービス水準の低い海外に日本の高いサービス水準を輸出するくらいでいい。

あくまで法律を守り、配達員を大切な社員として維持した上で、サービスの向上を目指すのは悪いことではない。

ソースとしての信憑性に弱いインターネットの記事

古い話だが「日本死ね」と書かれたブログだったか、ツイッターだったかが、国会で取り扱われたことがある。保育園に自分の子供を入園させることができない状況である日本に対して文句を言っているものである。
それはいいとして、思うのがインターネットのブログやツイッターに投稿された一般の人が書いた投稿というのは、特に事情がない限りはあまり特別に扱う必要はない。このブログもそうである。一個人が適当なことを書いているだけのものであり、なんとでも書くことができるし、責任もない。そのようないいかげんなものをひとつの事例として国会で取り上げるというのは違和感がある。

例えば、
「太陽は西から上る。これは絶対に全世界的に普遍的で正しいことだ。」
と、このようにインターメットには嘘を簡単に書くことができる。昇るではなく上るという誤字も間違ったまま書くことができる。そして、ご覧のとおり削除されることも訂正されることもない。これを読んでいる方も、その気になれば、同じようにいくらでもインターネットに適当な嘘八百を書くことができる。こんな情報を信用できるだろうか。信用できるわけがない。
実のところ、それはインターネットに限らないし、個人が書いた記事だけの話でもないのだが、インターネットの個人の記事は特に信用できない。わざわざ間違ったことを書かないだろうという性善説による期待はできるが、裏付けはない。

ひょっとすると、インターネットには、正しいことを書かないと、問題になることがあると考える人がいるかもしれない。例えば名誉棄損とか営業妨害等だ。だから責任のある記事が書かれなければならないと思われる人がいるかもしれない。
だが、そのような責任が伴うのでは、誰もインターネットに気軽に投稿できないし、個人の投稿に対していちいちそのような責任を求めるのは現実的ではない。一個人が十分な裏付け取材をして、個人的な感情や思い込みがないよう精査してから投稿するなんてことはしない。思いついたことを適当に書いているだけだ。
インターネットは、個人で気軽に投稿できる仕組みなので、望む望まざるにかかわらず、そうならざるを得ない。

寿司屋のチェーンを経営している会社が、インターネットの記事に対して裁判を起こしたことがあった。記事が名誉棄損や営業妨害になるということだ。当然ながらそのような裁判を起こしても意味がない。その案件は記事内容が事実かどうかということも判断材料としてあったようだが、仮に事実でないことを書いたとしても、インターネットの記事に対していちいち事実と異なるからといって裁判をすること自体ナンセンスである。よほどの悪意があるとか、なにか特別な事情があればどうか分からないが、ほとんどの場合においてはありえない。
インターネットに対して、いい加減な記事を書いても罰せられないという意味ではない。それ以前に、インターネットの情報を個人が無責任に書いているのは、はなから常識だ。100%信用できないのは周知の事実である。でたらめかもしれないと誰でも分かっている記事に対して、でたらめなことを書くなと言うようなものだ。
仮に間違ったことや非難、批判がインターネットに書かれているからといって、誰もそれを真に受けていない。あくまでひとつの意見として参考にするだけで、様々な可能性のひとつであるだけである。